毒親と医学生

ちょっと深刻な話題ですが、きっと将来出会うはずです、毒親やその被害者。

さらっと読み流してください〜。

 

そう、先日ちょろっと書いた通り(下の記事!)、私の親は毒親です。

black-jackyy.hatenablog.com

 何をもって毒親と認定したのか、と聞かれちゃうと、

これには診断基準なんかないので何とも言えないのですが、

とにかく毒親なんです!笑 (笑えません)

 

今日はそれについて書こうと思います。

 

 

毒親だと気づいた理由

実は、大学生になって少し経つまで、毒親という概念があることすら知りませんでした。

ただ、それまで親に対して何も感じていなかったのかと聞かれれば、もちろんNOです。

でもそれを異常だと思ってなかったんです。それが日常で、私にとって当たり前でしたから。

 

私が毒親と認識したのは、いろんな人から

「うなぎの親、相当やばいよ。」

と言われ続けて、ようやく客観的に自分の親を観察した結果でした。

それがたまたま大学生の時だったんですね。

 

なぜ指摘されたかと言えば、それはいつも何気ない日常会話からでした。

 

小学生の時は、自分の親の話を友達にすることはあまりなかったのに比較して、

中高に入ると自分の親の悪口、友達に言ってスッキリすること増えますよね。

 

「今日ママと喧嘩したんだけど!まじむかつく。」

 

あるあるですね。笑

 

ただ、私も同じように親の愚痴を言うと、

それを聞いていた友達が、みんな真顔になっちゃうんです。

愚痴の内容がやばいからです。(これについては後述)

ただ本人(うなぎ)は、よくある親の愚痴として笑い話みたいなノリで言ってたので、

皆の言ってる意味が分からず頭の中???でした。

 

でも、さすがにこの現象を20回くらい繰り返せば、

どんなに鈍感でも察します。

 

うちの家、もしかして、変???

 

はい、変でした。

 

 

どう変だったのか

幼少期

思えば小学生の頃から、なんか理不尽だな~と思うこと、よくありました。

 

ちょっとだけうなぎ親のあるあるネタを出すと、、

 

朝はニコニコしていたのに、学校から帰宅するとめちゃくちゃ怒っているとか、いまだによくあります。

でも、毎回なんで怒ってるのか全く心当たりがない。

まただ……と思って、なるべく元気に挨拶とかして、(まじ怖い)

隅のほうで宿題とかしてると、ふいに母親が目の前にやってきて火を吐きます。

 

母「なんかあんた、最近調子乗ってない?」

う「え?」

母「えじゃねーよ親に対してその態度はなんだ」

う「えっと...調子乗ってませんすいません」

母「子供の分際で反論してんじゃねーよry」

 

大体こんな感じで説教(?)が始まり、しばらくすると武器を召喚してきます。

物干し棒とか掃除機とか椅子とか辞典とかそういうやつ。

 

ボコられて、気が済んだら終わりです。

ただ、親は大抵体幹を目がけて攻撃してくるので、友達も含めて他者からアザを指摘されたことはほとんど無いですが。
 

さすがに親第一主義の小学生だって、こんなの理不尽だと感じますよ。

でも、親の洗脳って怖いもので、

「私は他人から見ると調子乗ってるように見えてるのか。」

ってなるわけです。

 

最近になってようやく、私も一丁前に親に対抗するようになったので直接理由を聞いてみたのですが、

なんというか、繊細というか感受性が豊かというか、

あれです、「二次妄想」が顕著なんですよね。

 

人の声音とか、物が落ちたとか、そういうので気分が大きく左右されてしまうようです。

それを家族に還元してしまうんでしょう。

 

精神科に行ってるらしいので、最近はだいぶ落ち着いてきましたよ。(コンプライアンス最悪ですが)

 

お見苦しい体験談、すいませんでした(__)

ほんとに毒親ってめんどくさい。でも、

日常化しているから当事者が気づきにくいんですよね。

 

興味のある方、つつみさんの漫画がとても分かりやすいので読んでみてください!

tutumi.nbblog.jp

 

 

 中高

この頃には既に悟りを開いて、操り人形にようにすべて言うとおりにしていました。

「私のいう通りにしていれば絶対大丈夫だからね!」

と言われて、

おそらく後悔だらけだった母親の人生のやり直しを実演させられていました。

 

お陰様で、成績優秀で自己主張の少ない地味〜な優等生キャラとして生きてきたわけです。

でもそれは、若い頃ギャルで青春を謳歌しまくってた母親だからこそ理想だと思った人生であって、

私は短いJK時代をもっと楽しみたかったな…。🙄

 

うん、来世に期待!!笑笑

 

 

 

 大学

大学に入ってから毒親だと気づき、書籍を買って勉強したり毒親持ちの匿名コミュニティをのぞいたりしました。自分なりに調べてみると、結構同志がネットに多くいることに安心しました。

 

ただ、ちょっとだけこれについて大学のある友達に言ったことがあるんですが、思わぬ返答が返ってきたんです。

 

「大学に行かせてもらってるなら、大切にされてるじゃん。」

「学費ちゃんとはらってくれてるんでしょ。なら大丈夫だよ」

 

…結構ショック!笑

たしかに、高い学費はちゃんと払ってもらってる!(払ってるのは父親だけど)笑

でも、親のために医学部に行ってあげてる(笑)んだからそれは当然なんじゃないの?!

とか思ってみたり…

 

医学部の子にそう言われるんだから、

ましてや医学部外の人から見たらよりそう見えるかもしれない、とも納得しました。

 

だから、本当に仲のいい子にしか話さないように気をつけています。

色んな家庭の形があるんだな〜、と思って下さればそれで十分です!

 

 

 親の義務と子の権利

親は子供が将来路頭に迷わないように見守る義務がある、とよく言いますが、

だからと言って子供の人生に過干渉していいわけでもないのです。 

 

親による子供の過剰な管理は、乳児の段階ですら大きく影響を及ぼすという論文があります。

kaken.nii.ac.jp

 私のように目に見えるような制限だけに留まらず、

将来的な情動制御や実行機能、ひいてはその子の知能やIQの伸び幅にも影響を与えるというからびっくり仰天です(もちろん悪影響です)

 

皆さんが親になったら気をつけましょうね!笑

私は元気なのでご心配なく!!お陰様で精神科の勉強が捗りますよー。

 

ではまた!!

 

SNSにおける誹謗中傷を通して、精神医療について考える

こんにちはうなぎです。

 

さて、インターネットが発達して誰もが何かしらのSNSを使用している世の中ですが、

それに付随してSNSの悪性利用が問題視されています。

先日、ある芸能人がSNSによる誹謗中傷により精神的ダメージを受け続け、残念ながらお亡くなりになりました。

本当に悲しいことです。

芸能人だって一人の人間。その人を良く知らないくせに、個人の偏見や思い込みで傷つけるのは、殺人と同罪ですよね。

個人的には、自分の顔や名前は隠してるのに、一方通行に暴言を吐くのは他殺以上に卑劣な気がします。

 

今日はそんなお話をしようと思います。

 

 

SNS加害者の特徴

さて、ひとつの課題を遂行するに際して、一人ひとりの思考回路が違うように、
物事への感受性や目標への到達方法、結論には個人差があります。

 

例えば…

山を登るのに回り道をしてでも緩やかな坂道を選択するか、辛くても最短ルートで崖を這い上がるか。

はたまた、ロープウェイを開発するところから始める人もいるだろうし、既に登山した経験のある人に話を聞いてから考えたい人もいるだろう。

 

この中に正解も不正解もない。

みんな違ってみんないい。だからこそ生まれる「個性」。

 

私はこれが人間の醍醐味だと思っているのですが、

意外とそこを勝手に無視して、『自分の考え方が世界で一番理にかなっていて、誰よりも合理的で知的な判断をしている!』と信じている人、めちゃくちゃ多い。

 

自分の脳みそに閉じこもって他の意見を遮断。井の中の蛙状態でとても見苦しい…。

でも、こういう人って、社会生活を営んでいて実際に対面すること、意外と少ないですよね。

そう、多くの人は意見の食い違いや自己評価を気にして、言わずに黙っている。

しかし、、、

SNSという媒体を通すと、自分のプライバシーが確保された状態で意見を発信する場が与えられる。そうすると、こいつらは黙ってたものを抑えきれずに暴れ始める。

これがSNSによる誹謗中傷。

 

さらにこれには感染する威力もある。誰かの暴言を目にすると、群集心理が働いて、多数派に回りたい人たちが一緒になって騒ぎ始める。もう止まりません。

 

自分が一番正しい、という勘違いは暴力

この人たちって何がしたいかというと、

「(私の中の基準で判断すると)こいつは間違った人間だ!」と指摘したい

あるいは、

「こんな指摘ができる自分って、すごく正しくて立派な人間だよね?」

と自分に酔いしれているんですよね。あるいは、

「皆の代わりに、自分が言いたいこと言ってやったぜ(どや)」

なんて人もいるかもしれません。

 

ですが先述の通り、個性は人間の醍醐味なんだから、

「その思考、私には意味がわからん」は当たり前であって、そこを叩くなら人間やめろって話。

同じことが精神疾患にも言えると思うんです。

 

 

精神疾患と個性の差はなに?

例えば、雨が降っていると悲しい気持ちになるのはなんでですか?と聞かれて、

すらすらと回答できる人なんていないと思います。

悲しくなるのはなんとな~くであって、何か明確な理由がある人はごく一握り(いるのかな?)でしょう。

これは、人間の情動変化に理由付けがないからです。

 

では、、、

 

Aさんがやってきて、「雨が降ると笑いがとまらないの!!笑」

…と言ったらどう思いますか?

「…え?なんで?笑」ってなりますよね??

でも別に、Aさんのその笑いに意味なんて無いんです。

あなただってさっきそうだったでしょ?

この人はただ、皆と感じ取り方が違っただけ。

なんで「笑いが止まらない」のかなんて、本人が分からないなら第三者も絶対わかりやしません。

 

これが精神疾患という概念と直結している気がするんですよね。

皆と違うことを「個性」ととるか「疾患」ととるか。

 

そう、精神疾患と個性は隣り合わせで、明確な境界線が存在しないのです。

つまり、精神疾患は誰にでも起こりうるけど、その病態や心理状態を理解できなくて当たり前。

理解じゃなくて、共感して支えていくことが大切なんです。

長い歴史の中で、そうやって精神科医療は発達、進歩してきたんだと思います。

 

ここまで読むと、精神疾患の患者さんを、甘えだとか意気地なしだとか馬鹿にする人は無知の極みだと思いませんか?

 

 

精神疾患の診断や定義づけ

精神疾患は、その原因が不明確であることが多く、仮に原因がはっきりしていたとしてもその疾患になるかならないかは個人の性格や思考スタイルに依存しています。

 

遺伝性疾患のように予測もできなければ、感染症のように予防もできないわけです。

悪性腫瘍のように特異的なマーカーが出現することもなければ、画像検査で偶然発見されることもない。

 

だから、予防も診断も治療もとっても難しい。

 

さらに言うと、先述の通り精神疾患を個性の延長線上にあるとするならば、これを「完治させる」ということは、その人の一個性を剥奪することと同値になるわけです。

 

それでもこれを「精神疾患」と定義づけ、向き合わなければならないのは、

そのせいで本人自身がつらい思いをしているからなんですね。

周りの人は、それをよく理解した上で、つらさを軽減すべく彼らと接してあげなくてはなりません。

 

 

精神科医の役割

じゃあ、精神科医の役割はなんなんでしょうか。

カウンセラー、看護師、他科との連携により、日々精神科医は「目に見えない疾患」と戦っているわけですが、精神疾患に対して完全勝利(つまり完治)を収める日は来ないわけです。

 

…なんだかアンパンマンに似ていると思いませんか?笑

 

患者さん自身の中で生成されるバイキンマンに対して、これを抹殺するのではなくて、ときに厳しくパンチをお見舞いしたり、ときに優しく話を聞いたりして、バイキンマンの暴走をコントロールするのが精神科医の役割なんじゃないかな、と思っています。

そうやっていつか、患者さん自身がアンパンマンになって、

自分の中のバイキンマンと共生し、ゆくゆくは手懐けることができる日を待っています。

 

 

他の診療科とはアプローチや疾患に対する考え方が全然違いますが、

それゆえに、精神科の先生は全員、アンパンマンのように包容力と愛情が人一倍強いな、と感じます。 

 

外科のように、バシッと根治させる診療科はやりがいもあって楽しそうだなと思いますが、精神科ほど人間の核心に迫っている診療科も無いなあ、と思う日々です。

 

 

SNSの誹謗中傷のニュースから、精神医療にまで話が飛躍しました。笑

また時間のある時に、好きな話を書こうと思います。

 

それではまた!!