医学の限界と医師と子供

年を重ねるたびに医学が発達して、たくさんの医療機器や薬剤が開発されて、

つい数十年前まで不治の病と言われていた疾患も、気がつけばコントロールできて当たり前な疾患になっています。

 

きっとさらに20年後とかになったら、今の若年世代の手で、

今では想像もつかない何かが開発されて、人生200年時代が来る日が来るかもしれません!!

 

ただ、いつの時代にも医学の限界は存在するし、

現在有効だとされている治療法が必ずしも全ての患者に奏功するとは言えないわけです。

 

今日は、小児科実習の時のお話。

 

 

小児科のイメージ

小児科というと、医学を勉強する前までは、

予防接種や風邪をひいて近所のクリニックにお世話になるイメージが強かったのですが、

もちろん大学病院にも小児科はあって、毎日たくさんの患者さんが来院されています。

 

これはどの科にも言えることかもしれませんが、

大学病院というのは(本来は)クリニックでの簡易検査や投薬だけでは管理が難しいと判断された患者さんが行くための場所です。

 

つまり、大学病院にいらっしゃる子供さんは、単なる予防接種や風邪ではないわけです。

 

幸いなことに、私も年下の兄弟も幼少期を健康に育ったので、

小児科を勉強したての頃はその疾患数に圧倒されましたし、なにより実感が湧かなかった

 

小さい頃の記憶はそもそも無いことが多いし、

もし何らかの疾患があったとしても物心つく前に解決してしまっていたり、

コントロールできるものがほとんどなので、健康そのもの(に見える)んですね!!

これぞ歴史上の全ての小児科医の努力の成果ですね。

 

私の知り合いにも、生まれたとき口蓋裂だったといっている子や、先天性心疾患を持っていた子がいますが、

その事実を疑うくらいには、面影もなく治ってしまっています。

 

だから、小児科実習が始まるまでは、知識はあれどその真意も理解せずに勉強していました。

 

小児科医の現実

しかし、小児科実習が始まって、自分の愚かさと無知さに愕然としました。

ここまで何事もなくすくすくと育ったことが、いかにラッキーだったかという事実を再認識することになりました。

 

小児科疾患は、誰のせいでもなく発症してしまうものばかりです。

生活習慣だとか、何か決定的な後付けの原因が関与している疾患は本当に少ない。

 

だからこそ、といっても過言ではないかもしれません。

罪のない未来ある子供を救うために小児医療と周産期医療はものすごい速さで発展しました。

 

特に、日本における新生児・乳児死亡率は世界でもダントツに低く、

日本は子供を産むのに安全な国と言われています。

いくつか文献を貼ったので、興味のある方はぜひ。

www.mhlw.go.jp

www.unicef.or.jp

医学の進歩によって、大学病院の小児科病棟で命を落とす子供は激減し、

数年に一人いるかいないかだと小児科の先生がおっしゃっていました。

 

その「一人」をゼロにするために小児科医はいる、と。

 

しかし、私は実習でその一人に出会ってしまったのです。

 

なんのために医師になるのか

その日の記憶はずっしりと重くて、一生忘れないものになりました。

 

生まれてすぐに疾患を患い、今までたくさんの手術や副作用の重い薬を続けて、その子は頑張っていたそうです。

親御さんも、できることはなんでもするといって、様々な治療法を試みながら現在まで奮闘していました。

 

しかし、その瞬間は訪れてしまいました。

先生は、いつも通り実習に来た私をそっと手招きして、一つの心電図モニタを指さしました。

そして、じっと私の目を見てこう言いました。

 

「この波形、忘れないでね」

 

私の担当の先生はとても穏やかな方で、いつも落ち着いていて、ネガティブな感情を表に出すことが全くない先生でした。

とても優秀で医療従事者と患者双方からの信頼も厚い先生でしたが、

その日の先生の目は表現できないくらい悲しい色をしていました。

 

その子の心電図は、周りのものと比べてあまりに弱弱しくバラバラで、

なんの知識もない私も、はっとなりました。

 

「日付はまたげそうにないと思う。親御さんを呼んでもらうところだよ。」

 

先生はそう言って、黙り込んでしまいました。

いつもははつらつとした小児科のナースステーションも、その日はとても静かな雰囲気だったのを覚えています。

 

15分ほどすると、青ざめたご両親がいらっしゃり、

私は先生が言葉を区切りながらインフォームドコンセントをするのを見ていました。

 

 

ほんとうにほんとうに悲しくてつらい時間でした。

思い出すだけで今でもやりきれない思いと涙がこみ上げてきます。

 

看護師さんに、

辛いかもしれないけど、医者はここで泣いちゃいけないの。

あなたが取り乱したら患者さんのご家族は誰に想いをぶつければいいのか分からなくなっちゃうでしょ。それも医療従事者としての役目よ。

と言われて、必死に涙をこらえたのを覚えています。

 

ご両親がきて安心したのか、その子の心電図はゆっくりと穏やかになり、その日の夜、見守られながらお亡くなりになりました。

 

私はこれを書くためにここにいるわけじゃないのにね。どうしてこの瞬間は無くなることが無いんだろうね。

と、死亡診断書を書きながら先生はおっしゃっていました。

 

この紙を見るたびに、医者の無力さというか、

何十年も小児科医をやってきたのに、自分の努力が報われないと感じてしまうよ。

でもそれに立ち向かうために、僕たち医者がいるんだよね。

 

先生は悲しげに微笑んで、その日の実習は終わりました。

 

医者

医者になったら、人の死を見続けて、いつか何も感じなくなるんじゃないかと思っていました。

死を目の当たりにして医者が動揺するイメージがわかないのは、医者の経験慣れのせいだろうと勝手に思っていました。

 

しかし、もう何人もの命を救い、またその死に対面してきたであろう先生が、

実は陰であんなに心を痛め、そのたびに医師としての自分と向き合っていたと知って、

とても胸が痛くなりました。

 

数ある担当患者の一人、ではなくて、

一人ひとりに全力で向かい合っているからこそ、

あの先生はあんなに優秀で、あんなに優しくて思慮深いんだろうな、と思います。

 

医者は生涯勉強だ、と言われています。

それを聞いて、なんかやだなーと思ったりもします。

 

ただ、医者になった後もずっと勉強し続けるのは、

医師の義務とか務めとかではなくて、

真剣に患者さんと向き合い続けるための手段に過ぎないんじゃないか。

 

そう考えると、なんだか勉強に対する見方がちょっと変わりました。

 

勉強をしたくないといっている時点で、その先生とは同じ土俵にいなかったのだと

気づかされてしまいました。。

 

そう思うと、医者の仕事も実は愛でできてるんだなあ、とうれしく思ったり。

そんな風に人生をささげられる仕事を見つけられるといいですよね。

 

ではではまた。

毒親と医学生

ちょっと深刻な話題ですが、きっと将来出会うはずです、毒親やその被害者。

さらっと読み流してください〜。

 

そう、先日ちょろっと書いた通り(下の記事!)、私の親は毒親です。

black-jackyy.hatenablog.com

 何をもって毒親と認定したのか、と聞かれちゃうと、

これには診断基準なんかないので何とも言えないのですが、

とにかく毒親なんです!笑 (笑えません)

 

今日はそれについて書こうと思います。

 

 

毒親だと気づいた理由

実は、大学生になって少し経つまで、毒親という概念があることすら知りませんでした。

ただ、それまで親に対して何も感じていなかったのかと聞かれれば、もちろんNOです。

でもそれを異常だと思ってなかったんです。それが日常で、私にとって当たり前でしたから。

 

私が毒親と認識したのは、いろんな人から

「うなぎの親、相当やばいよ。」

と言われ続けて、ようやく客観的に自分の親を観察した結果でした。

それがたまたま大学生の時だったんですね。

 

なぜ指摘されたかと言えば、それはいつも何気ない日常会話からでした。

 

小学生の時は、自分の親の話を友達にすることはあまりなかったのに比較して、

中高に入ると自分の親の悪口、友達に言ってスッキリすること増えますよね。

 

「今日ママと喧嘩したんだけど!まじむかつく。」

 

あるあるですね。笑

 

ただ、私も同じように親の愚痴を言うと、

それを聞いていた友達が、みんな真顔になっちゃうんです。

愚痴の内容がやばいからです。(これについては後述)

ただ本人(うなぎ)は、よくある親の愚痴として笑い話みたいなノリで言ってたので、

皆の言ってる意味が分からず頭の中???でした。

 

でも、さすがにこの現象を20回くらい繰り返せば、

どんなに鈍感でも察します。

 

うちの家、もしかして、変???

 

はい、変でした。

 

 

どう変だったのか

幼少期

思えば小学生の頃から、なんか理不尽だな~と思うこと、よくありました。

 

ちょっとだけうなぎ親のあるあるネタを出すと、、

 

朝はニコニコしていたのに、学校から帰宅するとめちゃくちゃ怒っているとか、いまだによくあります。

でも、毎回なんで怒ってるのか全く心当たりがない。

まただ……と思って、なるべく元気に挨拶とかして、(まじ怖い)

隅のほうで宿題とかしてると、ふいに母親が目の前にやってきて火を吐きます。

 

母「なんかあんた、最近調子乗ってない?」

う「え?」

母「えじゃねーよ親に対してその態度はなんだ」

う「えっと...調子乗ってませんすいません」

母「子供の分際で反論してんじゃねーよry」

 

大体こんな感じで説教(?)が始まり、しばらくすると武器を召喚してきます。

物干し棒とか掃除機とか椅子とか辞典とかそういうやつ。

 

ボコられて、気が済んだら終わりです。

ただ、親は大抵体幹を目がけて攻撃してくるので、友達も含めて他者からアザを指摘されたことはほとんど無いですが。
 

さすがに親第一主義の小学生だって、こんなの理不尽だと感じますよ。

でも、親の洗脳って怖いもので、

「私は他人から見ると調子乗ってるように見えてるのか。」

ってなるわけです。

 

最近になってようやく、私も一丁前に親に対抗するようになったので直接理由を聞いてみたのですが、

なんというか、繊細というか感受性が豊かというか、

あれです、「二次妄想」が顕著なんですよね。

 

人の声音とか、物が落ちたとか、そういうので気分が大きく左右されてしまうようです。

それを家族に還元してしまうんでしょう。

 

精神科に行ってるらしいので、最近はだいぶ落ち着いてきましたよ。(コンプライアンス最悪ですが)

 

お見苦しい体験談、すいませんでした(__)

ほんとに毒親ってめんどくさい。でも、

日常化しているから当事者が気づきにくいんですよね。

 

興味のある方、つつみさんの漫画がとても分かりやすいので読んでみてください!

tutumi.nbblog.jp

 

 

 中高

この頃には既に悟りを開いて、操り人形にようにすべて言うとおりにしていました。

「私のいう通りにしていれば絶対大丈夫だからね!」

と言われて、

おそらく後悔だらけだった母親の人生のやり直しを実演させられていました。

 

お陰様で、成績優秀で自己主張の少ない地味〜な優等生キャラとして生きてきたわけです。

でもそれは、若い頃ギャルで青春を謳歌しまくってた母親だからこそ理想だと思った人生であって、

私は短いJK時代をもっと楽しみたかったな…。🙄

 

うん、来世に期待!!笑笑

 

 

 

 大学

大学に入ってから毒親だと気づき、書籍を買って勉強したり毒親持ちの匿名コミュニティをのぞいたりしました。自分なりに調べてみると、結構同志がネットに多くいることに安心しました。

 

ただ、ちょっとだけこれについて大学のある友達に言ったことがあるんですが、思わぬ返答が返ってきたんです。

 

「大学に行かせてもらってるなら、大切にされてるじゃん。」

「学費ちゃんとはらってくれてるんでしょ。なら大丈夫だよ」

 

…結構ショック!笑

たしかに、高い学費はちゃんと払ってもらってる!(払ってるのは父親だけど)笑

でも、親のために医学部に行ってあげてる(笑)んだからそれは当然なんじゃないの?!

とか思ってみたり…

 

医学部の子にそう言われるんだから、

ましてや医学部外の人から見たらよりそう見えるかもしれない、とも納得しました。

 

だから、本当に仲のいい子にしか話さないように気をつけています。

色んな家庭の形があるんだな〜、と思って下さればそれで十分です!

 

 

 親の義務と子の権利

親は子供が将来路頭に迷わないように見守る義務がある、とよく言いますが、

だからと言って子供の人生に過干渉していいわけでもないのです。 

 

親による子供の過剰な管理は、乳児の段階ですら大きく影響を及ぼすという論文があります。

kaken.nii.ac.jp

 私のように目に見えるような制限だけに留まらず、

将来的な情動制御や実行機能、ひいてはその子の知能やIQの伸び幅にも影響を与えるというからびっくり仰天です(もちろん悪影響です)

 

皆さんが親になったら気をつけましょうね!笑

私は元気なのでご心配なく!!お陰様で精神科の勉強が捗りますよー。

 

ではまた!!

 

救命救急科に行きたいと言ったら怒られた話

ポリクリが始まると、高確率で聞かれる質問に、

「何科に興味があるの?」

というものがありますよね。

今日はそれについて。

 

 

実際なんて答えるのが正解なのか

外科では外科志望、内科では内科志望と言え!という情報もありますが、

私個人の意見だと、まったく興味も無い科でわざわざこびへつらう必要ないんじゃないのかな、とも思います。別にそれで成績が変わることはありませんでしたし。

(かといって真逆の科を出すのは反発を買う気もしますが笑)

 

むしろ、それを聞いた先生がその科の先生に話してくれていて、その科の実習に行った時に話しかけてくださったこともありましたし、

他科から見たその科の率直なイメージを聞けることもあるので、候補が絞られている人は正直に話すのも悪いことじゃないと思っています。

 

…逆に、いちいち診療科が変わるたびに「○○科(回っている科)に興味があります!」と言っていると、めんどくさいことが多いんですよね!!

相手が熱心な先生だと、まさかの連絡先を教える羽目になったり、

「具体的に○○科のどの分野に興味があるのか?どういう疾患をメインに専門をとるのか??この論文は読んだことがあるか??ちょうど今オペがやってr」

のような大惨事を招くことがしばしばあり、班員にまで被害が拡大して嫌われる…なんてことにもなりかねません。(ポリクリ中の悪口の上位ですよね)

 

…ということもあり、

私は自分の希望の診療科をある程度一貫させて答えていました。

実は気になっている科やできるようになっておきたい科で、柔軟に対応すればいいんじゃないかな~。

もちろん個人の自由ですが!笑

あくまで私の一意見です。

 

 

うなぎ、怒られる

題名からお察しの通り、わたしはずっと救命救急科に憧れています。

これを言うと、まあいろんな人から

 

「あ~コードブルーの影響ね笑」

「まあ一見ドラマっぽっくてかっこよく見えるよね笑」

 

と言われます。友達も他科の先生からもよく言われます。笑

そして、先生方は割と真顔でこう言われるんです。

 

「やりがい無くない?」

「すぐ飽きるよ」

「(遠回しに)女はマイナー科の方がいいと思うよ」

「結婚した後のこと、ちゃんと考えてるの?」

 

最初言われたときは結構ビビったんですが、

これ、1年間で5回以上言われました。(それぞれ別の科の先生から)

しかも一回一回が長い。禁忌肢踏んだか?ってくらい語りだします()

 

そもそも、誰がどんな理由で救命救急科を志したって個人の自由だと思うのですが、

なんていうか、内容がメリットデメリットとかじゃなくて、もはや中傷なんですよね。

他科への理解の無さ偏見女性差別を素でやってる先生が結構多いことに唖然。

 

そして、医療無関与の人からは「女は○○科なんじゃないの?」と言われたり。

親でさえ、「救急なんて見栄を張るな!開業しろ!」と猛反対(医者じゃないのになぜ言い切る)。

 

うーーん、生きづらい。

 

 

救命救急科の実情

医療ドラマを見て医師を志す人が多いように、救急のドラマを見て救命救急医に憧れる学生は沢山いるんじゃないでしょうか。もちろん私も見てました!コードブルー。

 

めちゃくちゃかっこいいしエモかった!

ただただ目の保養。癒し。ドラマとしては最高。

ちゃんと映画も見に行きましたよ~。

 

…でも、あれはドラマで、現実は現実。

 

そんなこと、1週間もまじめにポリクリしてれば分かりますよね?

そんなドラマチックな仕事を夢見て言っているんじゃないんだけどなあ。

 

きっかけはドラマでも何でもいいと思うんです。でも本当に大事なのは、

その科の闇の部分にもしっかり向き合った上で、それでもやりたいと思えるか

だと思います。

 

救命救急科はむしろ、そういった闇の部分に対応できるがカギになるといっても過言ではありません。

ドラマのようなドラマチックでハッピーエンドな症例は、1年に一回あるかないかだ、と救急の先生はおっしゃっていました。

 

運ばれたときには心肺停止だったり、自殺だったり、虐待だったり。

患者さんが急変したことを家族が受け入れられずに医師に当たったり。

未知の感染症だって救急車で搬送された場合、ファーストタッチは救急医の役目。

命を救うために医師になったのに、重症例が多いため、死に直面する機会が圧倒的に多い診療科。

ある程度容態が安定すると転科するので、最終的に患者から感謝されないことも多いようです。

 

そんなこと、全部分かったうえで、私は救命救急科に行きたいと思っています。

なのに、なんでこんなボロクソに批判されなくてはいけないのか。。

 

 

うなぎが救急に憧れる理由

わたしが救急を志したのは、私の理想の医師像が救急医の仕事にぴったり当てはまるからです。

「目の前で人が倒れた時に、瞬時に駆け寄って確実に救命できる医師になりたい」

「どんな疾患にも柔軟に対応できるオールマイティさが欲しい」

私にとっては、これが理想の医師像です。

専門性より、幅広くアプローチできることに魅力を感じます。

だから救命救急医になりたい。

 

でも、他科の先生はこの「オールマイティ」を批判するんですよね。

 

「救急なんて専門性の無い科だ。やる必要がない。誰にでもできる。やりがいが無い。飽きたらそれで終わりだ。」

 

救急医に「慣れ」なんてありません。

アナウンスだけでどんな状態の患者さんが来るかなんて推測しかできず、初診だとカルテもないので救命しながらの手探りが始まります。

意識不明の重体と聞くと、どんなベテランの医師が担当でも、待機している初療室は静まり返り緊張感に包まれます。

 

「どんなに年と経験を重ねても、予測不可能な症例がなくなることはなくて、

いまだにサイレンの音を聞くと手に汗握る。

まだまだ勉強しつづけないといけないことが沢山あるんだよね。」

 

と救急の教授が話しているのを聞いたとき、私は救急医になりたいと確信をもって痛感しました。

 

こういう医師になって、こういう人生を送りたいって、思いました。

だから、他科の先生に、救急医を踏みにじらないでほしいんですよね。

そんなこと、直接言えませんが。笑

 

 

まとめ

自分の専門を極める、それだけが医師の役割じゃないってことです。

 

とくに救急医の場合、サブスペシャリティをとってさらに専門知識を深めますから、馬鹿にされる筋合いはないっ!!笑

ということで、わたしはサブスペシャリティを考え中です。

 

よく知らないのに他科をディスるな!ってことです。

救急の先生は悪口言わないぞ!笑笑

 

 

いやー、今回はガチトーンで語ってしまいました笑笑笑

これで3年後、ほかの科に入局してたら面白いな。(全然あり得る)

ではではまた!

医者になりたくなくて。

うなぎです。

突然ですが、医者になりたくない人生でした…とほほ。

 

いや、私、入学前は結構こういう同志いると思ってたんですよ。

いたと思うんです。いました。なのですが…

 

まあみなさん、ちゃんと自分なりにふん切り付けて入学してきてます。

 

頭空っぽで受験勉強して、頭空っぽで入学してしまった私が悪いのですが、

まあ6年にもなって、未だに「医者になりたくない!」と駄々をこねている人はいません。

…ごめんなさい_(._.)_

医学部に入れたんだから喜んで頑張れよ、って言われるのも分かってます。

入学できなかった人の分まで勉強しろ、社会貢献しろ、と言われると思って静かに勉強してきました。

でも…

うーん、まさか医学に興味がないと言ったらウソになるけど、

やりたいことは別の分野だったなって、思っちゃうんですよね〜。

今日はそんな話。

 

 

どうして医学部に?あるある

私だけじゃなくて、多くの医学生がひそかに経験しているジレンマだと思います。

医学部に入る人は、必ずしも医者になりたい明確な意思を持って受験し入学してきたわけではありません。

 

1.「親の医院を継がなくてはならないから」

たいていこのパターンの人、入学前から進む診療科まで決められてますよね。

開業手続きをすることなく開業医になれるのはいいのかもしれないけど、

そこには当事者にしか分からないジレンマがあるはず。

2.「親が医療従事者だから」

これ、大多数ですよね!私もこのうちの一人です。

知らぬ間に「え?あんた医療系進むんじゃないの?」みたいな家族の雰囲気に流されて、気が付いたら私も仲間入り。

入学して、医療関係者の親を持つ友人が増えたのはとてもうれしかったですけどね。

3.「とりあえず一番上を目指したら入れました」

言ってみたいですね。かっこいい。

でもこういうこと言えちゃう子って、私みたいに医学ムズイ辛い!とか言いません。だって、できちゃうので。

4.その他

もちろん真っ当な意思を持って入学してくる学生も沢山います。

そういう子たちは、医学に対する姿勢が人一倍熱心でやる気があって、ほんとにうらやましいです。

 

 

うなぎの場合

ただ、私がごねている原因はこれだけじゃないんですよ。

あんまり人に喋ることでもないのでここで垂れ流します。

 

突然ですが!!!うなぎの母は完璧主義者なのです!

父はさておき母は自身の学歴コンプレックスを私で補填するために、めちゃくちゃ厳しく育てられました🤮

 

「携帯、ネット、音楽、漫画は勉強に不要!(捨)」

「部活は今すぐ辞めろ」

「高校の定期試験は9割取らないと論外!」

「模試の偏差値は最低67以上じゃなきゃ親不孝者」

「医学部志望だよね???(圧)」☜コレ

「浪人はさせない、落ちたら勘当」

 

…今思えば、ひええええよく生き抜いたなって感じですが(棒)、

子供って、自分の親が毒親って気づかないと、それが当然だと思って生きてるので、

まあ心を無にして勉強していました。(これについては後日書こうかな)

 

大学に入ったら勉強から解放されると信じていた

んですね。

 

結果、私は親の言いなりになって勉強し、そして親の思惑通り合格し、

私は地獄の高校時代を終えて某大学に滑り込んだわけです。

 

 

医学部は入ってからが大変

しかし、皆さんの想像通り、私の地獄は入学後から始まったのです。

医学部は1年生からテストが沢山!課題も多い!

追われるのには慣れてましたが、今までは参考書や問題集があったのに、

大学では難しい正書(読めなかった)しか文献がない。

…友達と協力するとはいえ、これがなかなかハードでした。

 

ただでさえ、大学に入ったら休めると信じて親からの圧力に耐えていただけに、全力で期待を裏切られたわけです。(しかも実家暮らしで親から離れられず)

 

大学1年を高校と同じ要領で走りぬいた後、私はいよいよ人生のスランプにハマります。

 

 

長い長いスランプを経て

2年に入って、やる気を喪失した私はスマホのゲームアプリを片っ端からダウンロードしてメンタルを保っていました。(現実逃避)

俗に言う燃え尽き症候群を発症したんですね。笑

しかし怠ける暇もなく、解剖実習が始まって人生初の口頭試問にビビりまくり…

実習が終わった直後、まさかの

急性腹腔内出血をおこして入院。

原因はいまだに不明ですが、たぶん卵巣出血だろうな、と自己解釈しています。笑

たまたまだとは思いますが、当時は入院のタイミングも最悪で死にたい気分でした。。

結局2週間も入院したので、追試だらけ(もちろん再試もある)になり、人生最悪な数ヶ月を過ごしました…。

 

2年を突破してからは座学が続いたのでかなり楽になりましたが、私はこれを機に勉強に懲りてしまい(笑)、ぐうたらな2年間を過ごします。

 

 

実習が始まって思ったこと

高い学費を払ってもらっていて今更引き返すこともできず、

かと言って医学の勉強にやる気も湧かず。(まさか誰にも言えない...)

そんなこんなで始まった実習(ポリクリ)でした。

 

しかし、そんな私でも、実習はつまらないことばかりではありませんでした。

現場で働く医療従事者を見て、本当にカッコいいとかんじました。

いろんな科を回って、いろんな先生と会って、色んな患者さんと話しました。

一年半病院にいたからといって、知識もない私に何が身についたわけでもありませんが、

私にとっては、医師という仕事を前向きに捉える大きな一歩を踏み出すきっかけとなりました。

 

「私が医者にならなくたって、他の誰かがやってくれるよ」 

 

 と思っていましたが、

 

「1人でもいいから、自分の手で患者さんを救えるようになりたい」

「せっかく医者になれるなら、医者になってよかったと思えるような人生にしたい」

 

と思えるようになったんです。

ちなみにそう思えるようになったのは5年の秋。めっちゃギリギリ。笑

そんなすぐに気持ち切り替えられなくて。まあ結果オーライだと思いたい!

 

 

そして最終学年になったわけですが…

実習しながら一通り勉強してきたはずなのですが、

…何も覚えていない。(今ココ)

一回見たら忘れない頭が欲しかった。いや、復習をしない自分の責任ですね。

 

今、半泣きでQBとmedu4を並行して復習しているところです。

コロナ騒ぎが無かったら、medu4見返す時間もなかったと思うと心底ゾッとしますが。

 

5月までに復習1周目を終わらせる予定だったんだけどな〜。笑

 

 

…そんなこんなで、まだまだ迷走はしていますが医師になる覚悟は徐々についてきたかな。

とりあえず今は国試の勉強をするしかないよね!笑

 

乱筆失礼いたしました。ではまた!!!

 

SNSにおける誹謗中傷を通して、精神医療について考える

こんにちはうなぎです。

 

さて、インターネットが発達して誰もが何かしらのSNSを使用している世の中ですが、

それに付随してSNSの悪性利用が問題視されています。

先日、ある芸能人がSNSによる誹謗中傷により精神的ダメージを受け続け、残念ながらお亡くなりになりました。

本当に悲しいことです。

芸能人だって一人の人間。その人を良く知らないくせに、個人の偏見や思い込みで傷つけるのは、殺人と同罪ですよね。

個人的には、自分の顔や名前は隠してるのに、一方通行に暴言を吐くのは他殺以上に卑劣な気がします。

 

今日はそんなお話をしようと思います。

 

 

SNS加害者の特徴

さて、ひとつの課題を遂行するに際して、一人ひとりの思考回路が違うように、
物事への感受性や目標への到達方法、結論には個人差があります。

 

例えば…

山を登るのに回り道をしてでも緩やかな坂道を選択するか、辛くても最短ルートで崖を這い上がるか。

はたまた、ロープウェイを開発するところから始める人もいるだろうし、既に登山した経験のある人に話を聞いてから考えたい人もいるだろう。

 

この中に正解も不正解もない。

みんな違ってみんないい。だからこそ生まれる「個性」。

 

私はこれが人間の醍醐味だと思っているのですが、

意外とそこを勝手に無視して、『自分の考え方が世界で一番理にかなっていて、誰よりも合理的で知的な判断をしている!』と信じている人、めちゃくちゃ多い。

 

自分の脳みそに閉じこもって他の意見を遮断。井の中の蛙状態でとても見苦しい…。

でも、こういう人って、社会生活を営んでいて実際に対面すること、意外と少ないですよね。

そう、多くの人は意見の食い違いや自己評価を気にして、言わずに黙っている。

しかし、、、

SNSという媒体を通すと、自分のプライバシーが確保された状態で意見を発信する場が与えられる。そうすると、こいつらは黙ってたものを抑えきれずに暴れ始める。

これがSNSによる誹謗中傷。

 

さらにこれには感染する威力もある。誰かの暴言を目にすると、群集心理が働いて、多数派に回りたい人たちが一緒になって騒ぎ始める。もう止まりません。

 

自分が一番正しい、という勘違いは暴力

この人たちって何がしたいかというと、

「(私の中の基準で判断すると)こいつは間違った人間だ!」と指摘したい

あるいは、

「こんな指摘ができる自分って、すごく正しくて立派な人間だよね?」

と自分に酔いしれているんですよね。あるいは、

「皆の代わりに、自分が言いたいこと言ってやったぜ(どや)」

なんて人もいるかもしれません。

 

ですが先述の通り、個性は人間の醍醐味なんだから、

「その思考、私には意味がわからん」は当たり前であって、そこを叩くなら人間やめろって話。

同じことが精神疾患にも言えると思うんです。

 

 

精神疾患と個性の差はなに?

例えば、雨が降っていると悲しい気持ちになるのはなんでですか?と聞かれて、

すらすらと回答できる人なんていないと思います。

悲しくなるのはなんとな~くであって、何か明確な理由がある人はごく一握り(いるのかな?)でしょう。

これは、人間の情動変化に理由付けがないからです。

 

では、、、

 

Aさんがやってきて、「雨が降ると笑いがとまらないの!!笑」

…と言ったらどう思いますか?

「…え?なんで?笑」ってなりますよね??

でも別に、Aさんのその笑いに意味なんて無いんです。

あなただってさっきそうだったでしょ?

この人はただ、皆と感じ取り方が違っただけ。

なんで「笑いが止まらない」のかなんて、本人が分からないなら第三者も絶対わかりやしません。

 

これが精神疾患という概念と直結している気がするんですよね。

皆と違うことを「個性」ととるか「疾患」ととるか。

 

そう、精神疾患と個性は隣り合わせで、明確な境界線が存在しないのです。

つまり、精神疾患は誰にでも起こりうるけど、その病態や心理状態を理解できなくて当たり前。

理解じゃなくて、共感して支えていくことが大切なんです。

長い歴史の中で、そうやって精神科医療は発達、進歩してきたんだと思います。

 

ここまで読むと、精神疾患の患者さんを、甘えだとか意気地なしだとか馬鹿にする人は無知の極みだと思いませんか?

 

 

精神疾患の診断や定義づけ

精神疾患は、その原因が不明確であることが多く、仮に原因がはっきりしていたとしてもその疾患になるかならないかは個人の性格や思考スタイルに依存しています。

 

遺伝性疾患のように予測もできなければ、感染症のように予防もできないわけです。

悪性腫瘍のように特異的なマーカーが出現することもなければ、画像検査で偶然発見されることもない。

 

だから、予防も診断も治療もとっても難しい。

 

さらに言うと、先述の通り精神疾患を個性の延長線上にあるとするならば、これを「完治させる」ということは、その人の一個性を剥奪することと同値になるわけです。

 

それでもこれを「精神疾患」と定義づけ、向き合わなければならないのは、

そのせいで本人自身がつらい思いをしているからなんですね。

周りの人は、それをよく理解した上で、つらさを軽減すべく彼らと接してあげなくてはなりません。

 

 

精神科医の役割

じゃあ、精神科医の役割はなんなんでしょうか。

カウンセラー、看護師、他科との連携により、日々精神科医は「目に見えない疾患」と戦っているわけですが、精神疾患に対して完全勝利(つまり完治)を収める日は来ないわけです。

 

…なんだかアンパンマンに似ていると思いませんか?笑

 

患者さん自身の中で生成されるバイキンマンに対して、これを抹殺するのではなくて、ときに厳しくパンチをお見舞いしたり、ときに優しく話を聞いたりして、バイキンマンの暴走をコントロールするのが精神科医の役割なんじゃないかな、と思っています。

そうやっていつか、患者さん自身がアンパンマンになって、

自分の中のバイキンマンと共生し、ゆくゆくは手懐けることができる日を待っています。

 

 

他の診療科とはアプローチや疾患に対する考え方が全然違いますが、

それゆえに、精神科の先生は全員、アンパンマンのように包容力と愛情が人一倍強いな、と感じます。 

 

外科のように、バシッと根治させる診療科はやりがいもあって楽しそうだなと思いますが、精神科ほど人間の核心に迫っている診療科も無いなあ、と思う日々です。

 

 

SNSの誹謗中傷のニュースから、精神医療にまで話が飛躍しました。笑

また時間のある時に、好きな話を書こうと思います。

 

それではまた!!

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みなさんこんにちは。うなぎのブログへようこそ!

ここでは、大学生活の合間に、しがない医学生がふと思ったことをぽつぽつ書き留めていこうと思っています。

ではでは、かるく自己紹介をします↓

 うなぎのプロフィール

  • 2020年現在, 某大学医学部6年生
  • 趣味;描画, 漫画, アプリゲーム, カラオケ(知的なものを書きたい人生だった)
  • 特技;中途覚醒せずに12時間以上爆睡できる(他にない)
  • 好きな科目;生物, 日本史, 世界史, 美術
  • 苦手な科目;化学, 体育
  • 気になる診療科;救命救急科, 精神科, 形成外科, 循環器内科

 

そこらへんにいるような普通の学生です。

なんかおもしろい自己PRあればいいんだけどね~。皆さんにはありますか?笑

 

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まとめ

さて、お気づきの通り私は6年生なので、最終学年です。

来年の2月に国家試験を控えた受験生…(震)

なので、勉強の合間や眠い時にゆるゆる更新していくつもりです。

あたたかく見守ってください~(o_ _)o))