SNSにおける誹謗中傷を通して、精神医療について考える

こんにちはうなぎです。

 

さて、インターネットが発達して誰もが何かしらのSNSを使用している世の中ですが、

それに付随してSNSの悪性利用が問題視されています。

先日、ある芸能人がSNSによる誹謗中傷により精神的ダメージを受け続け、残念ながらお亡くなりになりました。

本当に悲しいことです。

芸能人だって一人の人間。その人を良く知らないくせに、個人の偏見や思い込みで傷つけるのは、殺人と同罪ですよね。

個人的には、自分の顔や名前は隠してるのに、一方通行に暴言を吐くのは他殺以上に卑劣な気がします。

 

今日はそんなお話をしようと思います。

 

 

SNS加害者の特徴

さて、ひとつの課題を遂行するに際して、一人ひとりの思考回路が違うように、
物事への感受性や目標への到達方法、結論には個人差があります。

 

例えば…

山を登るのに回り道をしてでも緩やかな坂道を選択するか、辛くても最短ルートで崖を這い上がるか。

はたまた、ロープウェイを開発するところから始める人もいるだろうし、既に登山した経験のある人に話を聞いてから考えたい人もいるだろう。

 

この中に正解も不正解もない。

みんな違ってみんないい。だからこそ生まれる「個性」。

 

私はこれが人間の醍醐味だと思っているのですが、

意外とそこを勝手に無視して、『自分の考え方が世界で一番理にかなっていて、誰よりも合理的で知的な判断をしている!』と信じている人、めちゃくちゃ多い。

 

自分の脳みそに閉じこもって他の意見を遮断。井の中の蛙状態でとても見苦しい…。

でも、こういう人って、社会生活を営んでいて実際に対面すること、意外と少ないですよね。

そう、多くの人は意見の食い違いや自己評価を気にして、言わずに黙っている。

しかし、、、

SNSという媒体を通すと、自分のプライバシーが確保された状態で意見を発信する場が与えられる。そうすると、こいつらは黙ってたものを抑えきれずに暴れ始める。

これがSNSによる誹謗中傷。

 

さらにこれには感染する威力もある。誰かの暴言を目にすると、群集心理が働いて、多数派に回りたい人たちが一緒になって騒ぎ始める。もう止まりません。

 

自分が一番正しい、という勘違いは暴力

この人たちって何がしたいかというと、

「(私の中の基準で判断すると)こいつは間違った人間だ!」と指摘したい

あるいは、

「こんな指摘ができる自分って、すごく正しくて立派な人間だよね?」

と自分に酔いしれているんですよね。あるいは、

「皆の代わりに、自分が言いたいこと言ってやったぜ(どや)」

なんて人もいるかもしれません。

 

ですが先述の通り、個性は人間の醍醐味なんだから、

「その思考、私には意味がわからん」は当たり前であって、そこを叩くなら人間やめろって話。

同じことが精神疾患にも言えると思うんです。

 

 

精神疾患と個性の差はなに?

例えば、雨が降っていると悲しい気持ちになるのはなんでですか?と聞かれて、

すらすらと回答できる人なんていないと思います。

悲しくなるのはなんとな~くであって、何か明確な理由がある人はごく一握り(いるのかな?)でしょう。

これは、人間の情動変化に理由付けがないからです。

 

では、、、

 

Aさんがやってきて、「雨が降ると笑いがとまらないの!!笑」

…と言ったらどう思いますか?

「…え?なんで?笑」ってなりますよね??

でも別に、Aさんのその笑いに意味なんて無いんです。

あなただってさっきそうだったでしょ?

この人はただ、皆と感じ取り方が違っただけ。

なんで「笑いが止まらない」のかなんて、本人が分からないなら第三者も絶対わかりやしません。

 

これが精神疾患という概念と直結している気がするんですよね。

皆と違うことを「個性」ととるか「疾患」ととるか。

 

そう、精神疾患と個性は隣り合わせで、明確な境界線が存在しないのです。

つまり、精神疾患は誰にでも起こりうるけど、その病態や心理状態を理解できなくて当たり前。

理解じゃなくて、共感して支えていくことが大切なんです。

長い歴史の中で、そうやって精神科医療は発達、進歩してきたんだと思います。

 

ここまで読むと、精神疾患の患者さんを、甘えだとか意気地なしだとか馬鹿にする人は無知の極みだと思いませんか?

 

 

精神疾患の診断や定義づけ

精神疾患は、その原因が不明確であることが多く、仮に原因がはっきりしていたとしてもその疾患になるかならないかは個人の性格や思考スタイルに依存しています。

 

遺伝性疾患のように予測もできなければ、感染症のように予防もできないわけです。

悪性腫瘍のように特異的なマーカーが出現することもなければ、画像検査で偶然発見されることもない。

 

だから、予防も診断も治療もとっても難しい。

 

さらに言うと、先述の通り精神疾患を個性の延長線上にあるとするならば、これを「完治させる」ということは、その人の一個性を剥奪することと同値になるわけです。

 

それでもこれを「精神疾患」と定義づけ、向き合わなければならないのは、

そのせいで本人自身がつらい思いをしているからなんですね。

周りの人は、それをよく理解した上で、つらさを軽減すべく彼らと接してあげなくてはなりません。

 

 

精神科医の役割

じゃあ、精神科医の役割はなんなんでしょうか。

カウンセラー、看護師、他科との連携により、日々精神科医は「目に見えない疾患」と戦っているわけですが、精神疾患に対して完全勝利(つまり完治)を収める日は来ないわけです。

 

…なんだかアンパンマンに似ていると思いませんか?笑

 

患者さん自身の中で生成されるバイキンマンに対して、これを抹殺するのではなくて、ときに厳しくパンチをお見舞いしたり、ときに優しく話を聞いたりして、バイキンマンの暴走をコントロールするのが精神科医の役割なんじゃないかな、と思っています。

そうやっていつか、患者さん自身がアンパンマンになって、

自分の中のバイキンマンと共生し、ゆくゆくは手懐けることができる日を待っています。

 

 

他の診療科とはアプローチや疾患に対する考え方が全然違いますが、

それゆえに、精神科の先生は全員、アンパンマンのように包容力と愛情が人一倍強いな、と感じます。 

 

外科のように、バシッと根治させる診療科はやりがいもあって楽しそうだなと思いますが、精神科ほど人間の核心に迫っている診療科も無いなあ、と思う日々です。

 

 

SNSの誹謗中傷のニュースから、精神医療にまで話が飛躍しました。笑

また時間のある時に、好きな話を書こうと思います。

 

それではまた!!