医学の限界と医師と子供

年を重ねるたびに医学が発達して、たくさんの医療機器や薬剤が開発されて、

つい数十年前まで不治の病と言われていた疾患も、気がつけばコントロールできて当たり前な疾患になっています。

 

きっとさらに20年後とかになったら、今の若年世代の手で、

今では想像もつかない何かが開発されて、人生200年時代が来る日が来るかもしれません!!

 

ただ、いつの時代にも医学の限界は存在するし、

現在有効だとされている治療法が必ずしも全ての患者に奏功するとは言えないわけです。

 

今日は、小児科実習の時のお話。

 

 

小児科のイメージ

小児科というと、医学を勉強する前までは、

予防接種や風邪をひいて近所のクリニックにお世話になるイメージが強かったのですが、

もちろん大学病院にも小児科はあって、毎日たくさんの患者さんが来院されています。

 

これはどの科にも言えることかもしれませんが、

大学病院というのは(本来は)クリニックでの簡易検査や投薬だけでは管理が難しいと判断された患者さんが行くための場所です。

 

つまり、大学病院にいらっしゃる子供さんは、単なる予防接種や風邪ではないわけです。

 

幸いなことに、私も年下の兄弟も幼少期を健康に育ったので、

小児科を勉強したての頃はその疾患数に圧倒されましたし、なにより実感が湧かなかった

 

小さい頃の記憶はそもそも無いことが多いし、

もし何らかの疾患があったとしても物心つく前に解決してしまっていたり、

コントロールできるものがほとんどなので、健康そのもの(に見える)んですね!!

これぞ歴史上の全ての小児科医の努力の成果ですね。

 

私の知り合いにも、生まれたとき口蓋裂だったといっている子や、先天性心疾患を持っていた子がいますが、

その事実を疑うくらいには、面影もなく治ってしまっています。

 

だから、小児科実習が始まるまでは、知識はあれどその真意も理解せずに勉強していました。

 

小児科医の現実

しかし、小児科実習が始まって、自分の愚かさと無知さに愕然としました。

ここまで何事もなくすくすくと育ったことが、いかにラッキーだったかという事実を再認識することになりました。

 

小児科疾患は、誰のせいでもなく発症してしまうものばかりです。

生活習慣だとか、何か決定的な後付けの原因が関与している疾患は本当に少ない。

 

だからこそ、といっても過言ではないかもしれません。

罪のない未来ある子供を救うために小児医療と周産期医療はものすごい速さで発展しました。

 

特に、日本における新生児・乳児死亡率は世界でもダントツに低く、

日本は子供を産むのに安全な国と言われています。

いくつか文献を貼ったので、興味のある方はぜひ。

www.mhlw.go.jp

www.unicef.or.jp

医学の進歩によって、大学病院の小児科病棟で命を落とす子供は激減し、

数年に一人いるかいないかだと小児科の先生がおっしゃっていました。

 

その「一人」をゼロにするために小児科医はいる、と。

 

しかし、私は実習でその一人に出会ってしまったのです。

 

なんのために医師になるのか

その日の記憶はずっしりと重くて、一生忘れないものになりました。

 

生まれてすぐに疾患を患い、今までたくさんの手術や副作用の重い薬を続けて、その子は頑張っていたそうです。

親御さんも、できることはなんでもするといって、様々な治療法を試みながら現在まで奮闘していました。

 

しかし、その瞬間は訪れてしまいました。

先生は、いつも通り実習に来た私をそっと手招きして、一つの心電図モニタを指さしました。

そして、じっと私の目を見てこう言いました。

 

「この波形、忘れないでね」

 

私の担当の先生はとても穏やかな方で、いつも落ち着いていて、ネガティブな感情を表に出すことが全くない先生でした。

とても優秀で医療従事者と患者双方からの信頼も厚い先生でしたが、

その日の先生の目は表現できないくらい悲しい色をしていました。

 

その子の心電図は、周りのものと比べてあまりに弱弱しくバラバラで、

なんの知識もない私も、はっとなりました。

 

「日付はまたげそうにないと思う。親御さんを呼んでもらうところだよ。」

 

先生はそう言って、黙り込んでしまいました。

いつもははつらつとした小児科のナースステーションも、その日はとても静かな雰囲気だったのを覚えています。

 

15分ほどすると、青ざめたご両親がいらっしゃり、

私は先生が言葉を区切りながらインフォームドコンセントをするのを見ていました。

 

 

ほんとうにほんとうに悲しくてつらい時間でした。

思い出すだけで今でもやりきれない思いと涙がこみ上げてきます。

 

看護師さんに、

辛いかもしれないけど、医者はここで泣いちゃいけないの。

あなたが取り乱したら患者さんのご家族は誰に想いをぶつければいいのか分からなくなっちゃうでしょ。それも医療従事者としての役目よ。

と言われて、必死に涙をこらえたのを覚えています。

 

ご両親がきて安心したのか、その子の心電図はゆっくりと穏やかになり、その日の夜、見守られながらお亡くなりになりました。

 

私はこれを書くためにここにいるわけじゃないのにね。どうしてこの瞬間は無くなることが無いんだろうね。

と、死亡診断書を書きながら先生はおっしゃっていました。

 

この紙を見るたびに、医者の無力さというか、

何十年も小児科医をやってきたのに、自分の努力が報われないと感じてしまうよ。

でもそれに立ち向かうために、僕たち医者がいるんだよね。

 

先生は悲しげに微笑んで、その日の実習は終わりました。

 

医者

医者になったら、人の死を見続けて、いつか何も感じなくなるんじゃないかと思っていました。

死を目の当たりにして医者が動揺するイメージがわかないのは、医者の経験慣れのせいだろうと勝手に思っていました。

 

しかし、もう何人もの命を救い、またその死に対面してきたであろう先生が、

実は陰であんなに心を痛め、そのたびに医師としての自分と向き合っていたと知って、

とても胸が痛くなりました。

 

数ある担当患者の一人、ではなくて、

一人ひとりに全力で向かい合っているからこそ、

あの先生はあんなに優秀で、あんなに優しくて思慮深いんだろうな、と思います。

 

医者は生涯勉強だ、と言われています。

それを聞いて、なんかやだなーと思ったりもします。

 

ただ、医者になった後もずっと勉強し続けるのは、

医師の義務とか務めとかではなくて、

真剣に患者さんと向き合い続けるための手段に過ぎないんじゃないか。

 

そう考えると、なんだか勉強に対する見方がちょっと変わりました。

 

勉強をしたくないといっている時点で、その先生とは同じ土俵にいなかったのだと

気づかされてしまいました。。

 

そう思うと、医者の仕事も実は愛でできてるんだなあ、とうれしく思ったり。

そんな風に人生をささげられる仕事を見つけられるといいですよね。

 

ではではまた。

毒親と医学生

ちょっと深刻な話題ですが、きっと将来出会うはずです、毒親やその被害者。

さらっと読み流してください〜。

 

そう、先日ちょろっと書いた通り(下の記事!)、私の親は毒親です。

black-jackyy.hatenablog.com

 何をもって毒親と認定したのか、と聞かれちゃうと、

これには診断基準なんかないので何とも言えないのですが、

とにかく毒親なんです!笑 (笑えません)

 

今日はそれについて書こうと思います。

 

 

毒親だと気づいた理由

実は、大学生になって少し経つまで、毒親という概念があることすら知りませんでした。

ただ、それまで親に対して何も感じていなかったのかと聞かれれば、もちろんNOです。

でもそれを異常だと思ってなかったんです。それが日常で、私にとって当たり前でしたから。

 

私が毒親と認識したのは、いろんな人から

「うなぎの親、相当やばいよ。」

と言われ続けて、ようやく客観的に自分の親を観察した結果でした。

それがたまたま大学生の時だったんですね。

 

なぜ指摘されたかと言えば、それはいつも何気ない日常会話からでした。

 

小学生の時は、自分の親の話を友達にすることはあまりなかったのに比較して、

中高に入ると自分の親の悪口、友達に言ってスッキリすること増えますよね。

 

「今日ママと喧嘩したんだけど!まじむかつく。」

 

あるあるですね。笑

 

ただ、私も同じように親の愚痴を言うと、

それを聞いていた友達が、みんな真顔になっちゃうんです。

愚痴の内容がやばいからです。(これについては後述)

ただ本人(うなぎ)は、よくある親の愚痴として笑い話みたいなノリで言ってたので、

皆の言ってる意味が分からず頭の中???でした。

 

でも、さすがにこの現象を20回くらい繰り返せば、

どんなに鈍感でも察します。

 

うちの家、もしかして、変???

 

はい、変でした。

 

 

どう変だったのか

幼少期

思えば小学生の頃から、なんか理不尽だな~と思うこと、よくありました。

 

ちょっとだけうなぎ親のあるあるネタを出すと、、

 

朝はニコニコしていたのに、学校から帰宅するとめちゃくちゃ怒っているとか、いまだによくあります。

でも、毎回なんで怒ってるのか全く心当たりがない。

まただ……と思って、なるべく元気に挨拶とかして、(まじ怖い)

隅のほうで宿題とかしてると、ふいに母親が目の前にやってきて火を吐きます。

 

母「なんかあんた、最近調子乗ってない?」

う「え?」

母「えじゃねーよ親に対してその態度はなんだ」

う「えっと...調子乗ってませんすいません」

母「子供の分際で反論してんじゃねーよry」

 

大体こんな感じで説教(?)が始まり、しばらくすると武器を召喚してきます。

物干し棒とか掃除機とか椅子とか辞典とかそういうやつ。

 

ボコられて、気が済んだら終わりです。

ただ、親は大抵体幹を目がけて攻撃してくるので、友達も含めて他者からアザを指摘されたことはほとんど無いですが。
 

さすがに親第一主義の小学生だって、こんなの理不尽だと感じますよ。

でも、親の洗脳って怖いもので、

「私は他人から見ると調子乗ってるように見えてるのか。」

ってなるわけです。

 

最近になってようやく、私も一丁前に親に対抗するようになったので直接理由を聞いてみたのですが、

なんというか、繊細というか感受性が豊かというか、

あれです、「二次妄想」が顕著なんですよね。

 

人の声音とか、物が落ちたとか、そういうので気分が大きく左右されてしまうようです。

それを家族に還元してしまうんでしょう。

 

精神科に行ってるらしいので、最近はだいぶ落ち着いてきましたよ。(コンプライアンス最悪ですが)

 

お見苦しい体験談、すいませんでした(__)

ほんとに毒親ってめんどくさい。でも、

日常化しているから当事者が気づきにくいんですよね。

 

興味のある方、つつみさんの漫画がとても分かりやすいので読んでみてください!

tutumi.nbblog.jp

 

 

 中高

この頃には既に悟りを開いて、操り人形にようにすべて言うとおりにしていました。

「私のいう通りにしていれば絶対大丈夫だからね!」

と言われて、

おそらく後悔だらけだった母親の人生のやり直しを実演させられていました。

 

お陰様で、成績優秀で自己主張の少ない地味〜な優等生キャラとして生きてきたわけです。

でもそれは、若い頃ギャルで青春を謳歌しまくってた母親だからこそ理想だと思った人生であって、

私は短いJK時代をもっと楽しみたかったな…。🙄

 

うん、来世に期待!!笑笑

 

 

 

 大学

大学に入ってから毒親だと気づき、書籍を買って勉強したり毒親持ちの匿名コミュニティをのぞいたりしました。自分なりに調べてみると、結構同志がネットに多くいることに安心しました。

 

ただ、ちょっとだけこれについて大学のある友達に言ったことがあるんですが、思わぬ返答が返ってきたんです。

 

「大学に行かせてもらってるなら、大切にされてるじゃん。」

「学費ちゃんとはらってくれてるんでしょ。なら大丈夫だよ」

 

…結構ショック!笑

たしかに、高い学費はちゃんと払ってもらってる!(払ってるのは父親だけど)笑

でも、親のために医学部に行ってあげてる(笑)んだからそれは当然なんじゃないの?!

とか思ってみたり…

 

医学部の子にそう言われるんだから、

ましてや医学部外の人から見たらよりそう見えるかもしれない、とも納得しました。

 

だから、本当に仲のいい子にしか話さないように気をつけています。

色んな家庭の形があるんだな〜、と思って下さればそれで十分です!

 

 

 親の義務と子の権利

親は子供が将来路頭に迷わないように見守る義務がある、とよく言いますが、

だからと言って子供の人生に過干渉していいわけでもないのです。 

 

親による子供の過剰な管理は、乳児の段階ですら大きく影響を及ぼすという論文があります。

kaken.nii.ac.jp

 私のように目に見えるような制限だけに留まらず、

将来的な情動制御や実行機能、ひいてはその子の知能やIQの伸び幅にも影響を与えるというからびっくり仰天です(もちろん悪影響です)

 

皆さんが親になったら気をつけましょうね!笑

私は元気なのでご心配なく!!お陰様で精神科の勉強が捗りますよー。

 

ではまた!!